「除夜の鐘」の音が、能登半島地震の被災地にも鳴り響いた。石川県珠洲市三崎町寺家の天台宗「 翠雲寺
」では、地震で倒壊した鐘楼堂の代わりにショベルカーでつるした鐘を 檀家
らが突き、新年の平穏を祈った。
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【Questさんの投稿】
引用元 https://www.yomiuri.co.jp/national/20241231-OYT1T50117/
石川県珠洲市の翠雲寺で行われた除夜の鐘の話を読み、大変心を打たれました。能登半島地震という大きな災害に見舞われた地域で、倒壊した鐘楼堂の代わりにショベルカーを用いて鐘を鳴らすという光景は、厳しい状況の中でも伝統を守り抜こうとする強い意志を感じさせます。これは、日本人らしい精神性が表れている素晴らしい取り組みだと思いました。
震災による甚大な被害の中で、鐘を掘り出し再び鳴らそうとする檀家の方々の思いは、ただ単に伝統を守るだけでなく、その音色に込められた祈りを通じて地域の再生を願うものだったのでしょう。鐘の音には古くから、厄を祓い新しい年の平穏を願う意味が込められています。そのような背景を考えると、この行動が被災地の方々にとってどれほど大きな励みになったか、想像に難くありません。
また、翠雲寺の住職である岩尾照尚さんの「鐘の音に安寧の祈りと全国からの支援に対する感謝を込めた」という言葉が印象的です。多くの人々の支えがあったからこそ、この鐘の音が再び響くことができたのだと思います。その感謝の気持ちを形にするためにも、鐘を突くという行動が象徴的であり、多くの人々に響いたのではないでしょうか。
さらに、ショベルカーを使った鐘の設置という工夫は、柔軟な発想と困難を乗り越える強さを感じさせます。鐘楼堂が失われ、本堂も全壊するという状況の中で、鐘を鳴らすという行為自体を諦めなかった姿勢は、困難に直面しても前を向く日本人の美徳を体現しているように思えます。
一方で、近年は除夜の鐘に関するクレームも少なくないと聞きます。しかし、住職が「数件のクレームで伝統を絶やしてはいけない」とおっしゃったことは、非常に大切な指摘だと思います。伝統行事には、それぞれの土地や人々の歴史や祈りが込められています。一部の声でその意味や価値が失われてしまうことがあってはならないと強く感じました。
震災の中でもこのように行動を起こし、祈りを形にすることができるのは、日本人特有の精神性があってこそだと思います。困難な状況下でも人々が支え合い、心を一つにして未来を切り開こうとする姿勢には、学ぶべき点が多いです。鐘の音が被災地の方々にとって新しい希望をもたらしたのであれば、それは何よりの成果だったのではないでしょうか。
日本には長い歴史の中で培われた多くの伝統がありますが、その多くは人々の祈りや願いが込められたものです。除夜の鐘もその一つであり、このように特別な状況の中でも続けられるべきだと強く感じました。その音色が地域を超えて全国の人々の心にも響き、新しい年を迎える希望となったのではないかと思います。
こうした取り組みを通じて、日本の美しい伝統や精神性を次世代に伝えていくことが重要です。そして、私たちもその価値を再認識し、日常の中で伝統や地域の結びつきを大切にしていくべきだと感じました。
この話を知り、日本人としての誇りを新たにすると同時に、自分自身も何か困難な状況に直面した際に、このような強い意志と柔軟な発想で立ち向かえる人間でありたいと強く思いました。
執筆:編集部A