米国の企業や大学で、女性やマイノリティー(少数派)の積極登用などの多様性推進を見直す動きが起きている。米国では近年、少数派の権利向上を目指す「多様性・公平性・包括性(DEI)」と呼ばれる取り組みが進むが、保守派から個人の能力より人種やジェンダーが優先されかねないとの懸念が上がる。DEIを「過度の配慮」とみて揺り戻しが起きている形だ。
■広がるDEI見直し 米裁判所は11日、米証券取引所ナスダックが企業の上場に際して、取締役に女性やマイノリティーを一定数選任するよう求める基準を無効と判断した。 基準は2021年、米証券取引委員会(SEC)の承認を受け、適用が始まった。上場企業の規模などに応じて条件は変わるが、取締役に女性やLGBT(性的少数者)を選任し、達成しない場合は理由の開示を求めている。こうした基準が逆に「公正で公平な取引」からかけ離れているなどとして、保守系政策研究機関がSECを相手取り、承認の取り消しを求めて提訴していた。 米国では、小売り最大手ウォルマートが今年11月25日、DEIの取り組みを縮小すると明らかにした。人種平等などに関する従業員向け研修を打ち切るとしている。航空宇宙大手ボーイングは10月下旬、DEI推進の担当部門を廃止すると明らかにした。 また、米南部のノースカロライナ大は9月、大学事務局などに置かれたDEI関連の役職を廃止すると発表した。
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【Yahoo!さんの投稿】
引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/c1229b64382592c7976ac74ccdcc7d120bde5ca3
アメリカで進められていた多様性・公平性・包括性(DEI)の推進が、ここにきて見直される動きが強まっているというニュースを目にして、率直に言って遅すぎたくらいだと感じた。この流れは、企業や大学が公平性を無視し、多様性を強制することで逆に不平等を生んでいた問題への反動ではないだろうか。
そもそも多様性を尊重するという考え方は、誰もが公平にチャンスを得られる社会を目指すものであり、基本的には良い方向性だったと思う。しかし、それが義務化されることで能力や実力ではなく、性別や人種、性的指向といった属性によって評価が決まるようになってしまったのは大きな問題だった。
例えば、アメリカのナスダックでは取締役に女性やLGBTなどのマイノリティーを一定数選任するルールが課されていたが、これは明らかに過剰な対応だったと感じる。企業経営の本質は能力主義に基づくべきであり、多様性を理由に実力不足の人材が起用されることで、企業の競争力や業績に悪影響を与えるリスクも無視できない。
今回の裁判所の判断は、こうした過剰なルールが公平性を損なっているという点で、妥当な結論だったと思う。やはり経営や教育の場では、個人の資質や能力を重視することが大切であり、無理に属性を理由に登用を強制するような制度は問題が多かったと改めて感じる。
ウォルマートやボーイングなどの大手企業がDEI関連の取り組みを縮小していることも、こうした風潮への反省を示しているように思える。人種やジェンダーの平等を追求するあまり、結果として不平等を生んでいた点に気付いた企業が現実的な方向へシフトしているのは、むしろ自然な流れではないだろうか。
特に印象的だったのは、大学でもDEI関連の役職を廃止する動きが出ていることだ。教育の場では、能力や学力が重視されるべきであり、それを無視して多様性だけを優先するのは教育本来の目的に反していると思う。こうした動きが大学から広がっているのは、今後の社会全体にとっても良い傾向ではないだろうか。
とはいえ、多様性自体を否定するわけではない。さまざまな背景を持つ人々が共存できる社会は理想的だと思うし、そのための取り組み自体は必要だと感じる。ただ、それが強制されることで逆に差別を生むようでは本末転倒だ。
実際、今回のニュースでも指摘されていたように、DEIの推進が「個人の能力よりも属性を重視する」という状況を生んでしまったことは深刻だったと思う。多様性を追求することで新たな差別を生むようでは、社会全体が分断される結果になるだけではないだろうか。
今回の裁判所の判断や企業の動きは、こうした流れに対する健全な修正だと受け止めている。これまで過剰だった制度を見直し、本来の公平性を取り戻すことは、社会全体の健全性を維持するためにも重要なステップだと感じた。
また、日本もアメリカの流れに影響を受けて、多様性重視の風潮が広がっていたが、今回の動きを参考にして冷静に方向性を見直すべきだと思う。日本はまだアメリカほど極端な制度は導入されていないが、同じ過ちを繰り返さないためにも今から議論を深める必要がある。
特に企業の採用や大学の入試制度では、実力主義を基本とすることが何よりも大切だと考える。能力を評価することと、多様性を強制することは根本的に違うという点をしっかりと押さえておく必要がある。
この問題は単にアメリカの話ではなく、日本にとっても決して他人事ではないと思う。すでに日本でもジェンダー平等やマイノリティー支援を掲げる動きが広がっているが、その取り組みが公平性を損なわないように注意しなければならないと感じた。
アメリカの動きは行き過ぎた多様性重視への反省と修正の結果だと思うが、日本ではまだ議論が不十分な部分もある。だからこそ、今後はこうした国際的な流れを参考にしつつ、慎重に制度設計を進めることが求められるのではないだろうか。
このニュースを読んで、多様性という言葉に振り回されることなく、もっと本質的な公平性を追求することが大切だと改めて感じた。これからの社会にとって必要なのは、誰もが公平に評価されるシステムを作ることであり、そのためには感情的な議論ではなく冷静な分析が求められると思う。
企業や大学は、この動きをきっかけに、実力主義に立ち返ることが必要だと考える。無理に多様性を推し進めるのではなく、自然と多様性が生まれるような環境作りを目指すべきではないだろうか。
この流れが今後さらに広がっていくことで、社会全体がより公平で健全な方向に進んでいくことを期待したい。
執筆:編集部B