ソーラーパネルの設置で農業を続けたい家族が引き裂かれていく
クリーンエネルギーへの移行は、人類が気候変動に立ち向かうための解決策と考えられている。その方向性に賛同する人は多いが、太陽光発電するためのパネルの導入が思わぬトラブルを引き起こすケースもある。
スペイン人のカルラ・シモン監督は、自身の経験をもとに制作した映画『太陽と桃の歌』(12月13日公開)でこの問題を扱った。本稿では、シモン監督へインタビューをもとに、この「ソーラーパネル」の負の側面について問題提起したい。(略)
まずは電気料金の高騰だ。天候に依存する再生可能エネルギーは電力供給が不安定である。その上、風力・太陽発電施設やインフラ整備にかかる初期投資コストが高い。電力供給の不安定性と初期費用が電気料金の上昇に直結している。ほかにもさまざまな理由はあるが、電力価格の高騰の背景に再生可能エネルギーがあることは否めない。さらに、こうした経済的影響に加えて、急速な政策推進は政治的対立も招いている。
続きを読む例えば、フランスのマクロン大統領やカナダのトルドー首相の支持率低下、そしてカマラ・ハリス氏の大統領選敗退と、欧米の国々では最近リベラル政党が支持を失っているが、ここにもクリーンエネルギー政策が絡んでいる。
もちろん、エネルギー価格の上昇だけが、リベラル政党の支持率低下の原因ではない。再生可能エネルギー政策は「都市部エリートの価値観の押し付け」と受け取られることが多い。都市に住むリベラルなエリート層にとっては環境問題が最優先事項だろうが、一般の国民にとって電気代などを含む物価の値上がりは死活問題だ。そういうわけで、クリーンエネルギーへの急速な傾倒が政治的な分断を生んでいる。
このような背景を踏まえ、映画が描き出した家族や地域の分断を見てみよう。
本作では、ソーラーパネルを自分の土地に導入すると助成金が出ることを知った桃園の所有者が、桃農園を営む一家に桃園を伐採してソーラーパネルの管理をするか、桃園を立ち去るかの決断を迫り、一家は分裂していく。
儲からない農業を辞めてソーラーパネルを管理したい人、土地を売って都市部に移住したい人がいる一方で、伝統的な農業を続けて家族を守りたい人もおり、同じ家族のなかで意見は分かれる。楽して稼ぎたい派と桃づくりを地道に続けたい派の対立だ。筆者のインタビューにシモン監督はこう語る。
「結局は、多くの小規模農家が土地を手放さざるを得ない。それが現実です。政府や地方自治体との契約によってソーラーパネル導入が決定されるため、住民が反対の声を上げるのは難しい」
政府が推し進める“持続可能な環境政策”が、実は家族や共同体にとっては、“持続可能ではない”という皮肉な結果をもらすのだ。
さらに、この問題は農地の喪失や景観・自然破壊へと広がっている。
最近、日本でも無残に削られた山林や田園地帯に建つソーラーファームを見かけるようになったが、この現象はスペインでも顕著だという。シモン監督によると、2024年は、映画が本国で公開された2022年よりも、ずっと多くのファームが作品の舞台となる地域に乱立し、その景観は痛ましいものだという。
「確かに気候変動により、農作物が採れなくなった農地にソーラーパネルを設置するのは必要なことかもしれない。でも、スペインでは農作物を育てることのできる土地にまで、助成金目当てでソーラーパネルが置かれています。クリーンエネルギーの必要性は理解していますが、まだ農業ができる土地にソーラーパネルを置くことは、自然と共に生きてきた人間にとってよくないはずです」(シモン監督)
こうした状況下で、地域社会は土地を守りたい層と利益を享受したい層に、二分されている。農地が失われるということは、そこで生活を営んでいた村の祭り、行事や文化的遺産も消滅するということだ。地方の農地に大規模なソーラーパネル設置が進むなか、土地の利用を巡る住民との摩擦や景観問題があちこちで発生しているという。
そして、ソーラーパネルの持つ問題は土地利用だけに留まらない。
ソーラーパネルの製造過程で、中国・ウイグル自治区の強制労働が関与していると、国際的に批判されている。国際エネルギー機関(IEA)は2022年の報告で、中国がソーラーパネルの主要部品の生産能力において世界の80%以上を占めていると指摘した。
その中でも新疆ウイグル自治区は、ソーラーパネルの重要素材である多結晶シリコンの世界生産の約40%を担っているという。
ウイグル自治区での人権侵害は、トランプ前政権が強く問題視し、バイデン政権が2022年6月に新疆ウイグル自治区が関与する製品の輸入を禁止した。だが、これで一件落着とはいかない。
インドのソーラーメーカーが、ウイグル強制収容所が生産した部品を使い「インド製」としてアメリカにソーラーパネルを輸出している可能性もある、とブルームバーグが報じており、実際は世界中に広がっているのかもしれない。
「ウイグル強制収容所とソーラーパネルの関係についてスペインではあまり議論がされていませんが、ソーラー製品は年々安くなっています。もしかしたら、この裏には労働搾取があるのかもしれません」(シモン監督)
スペインのソーラーパネルがウイグル自治区で作られた製品かどうかは不明だが、「中国の太陽光パネル産業が輸出産業化するうえで大きく貢献したのがスペインやドイツを中心とする欧州市場だった」と国際貿易投資研究所の研究主幹・大木博巳氏はレポートしている。
ソーラーパネルがもたらす「持続可能性」という耳障りのいいキャッチフレーズは、農業従事者、地域社会、さらには製造過程に関わる労働者たちが負う、現実のコストを覆い隠している可能性がある。
日本でも以前から、森林を大規模に伐採してメガソーラー(大規模な太陽光発電施設)が建設されており、自然破壊だとの批判も相次いでいる。とりわけ、日本のように食料自給率が低い国で、貴重な農地をソーラーファームにするのはサステナブルのスピリットに反するものと言わざるを得ないだろう。
これらの問題を総合すると、再生可能エネルギー政策が持続可能性を目指す一方で、多くの矛盾を抱えていることがわかる。9000人のカタルーニャの農民をオーディションしてキャストを選び、3カ月も家族のように暮らし本物の家族を作り上げて制作された『太陽と桃の歌』のリアルな視点は、その矛盾を直視させる一助となっている。
[全文は引用元へ…]
【PRESIDENT Onlineさんの投稿】
「楽して稼げる」「地球にやさしい」太陽光発電が家族を壊す…持続可能なクリーンエネルギーの”とんでもない闇” ソーラーパネルの設置で農業を続けたい家族が引き裂かれていく
引用元 https://president.jp/articles/-/89391
再生可能エネルギーは地球環境を守るための重要な施策として推進されてきたが、その裏側にある負の側面があまり語られてこなかった。特にソーラーパネルの設置を巡る問題は、家族や地域社会の分断を引き起こし、農業や自然環境にも大きな影響を与えていることが分かる。映画『太陽と桃の歌』は、その現実をリアルに描き出している点で注目に値する。
この映画では、農業を続けたいという家族と、ソーラーパネル設置による利益を求める層の対立が描かれている。こうした対立は、単なる経済的な問題だけではなく、人々の価値観や生活様式の違いが浮き彫りになることで、より深刻なものになっている。
近年、日本でも山林や田園地帯を削ってメガソーラーが建設される事例が増えているが、その背景には土地利用に対する価値観の変化がある。自然と共に生きる文化を大切にしたいという人々と、利益を追求する企業や行政との間で摩擦が生まれているのだ。
スペインでは、農地にまでソーラーパネルが設置されるようになり、伝統的な農業が衰退しつつあるという。これは日本でも同様の傾向が見られる。農地を守りたいという声がある一方で、経済的利益を求める人々の考えも無視できない。
こうした現象は、政治的な分断にもつながっている。特に欧米では、再生可能エネルギー政策を推し進めるリベラル政党の支持率が低下している。物価の高騰や電気料金の上昇が、一般市民の生活を圧迫しているからだ。
クリーンエネルギーへの移行が環境問題に対応する手段であることは間違いないが、その実現のために社会や経済に負担を強いるやり方には疑問を感じざるを得ない。家族や地域社会が分断されることは、持続可能性とは程遠い現象だと言えるだろう。
さらに、ソーラーパネルの製造過程において、中国・ウイグル自治区の強制労働が関与している可能性が指摘されている点も問題視されている。安価な製品の裏に人権侵害が隠れているというのは、倫理的に許されるものではない。
ウイグル問題は以前から国際的に議論されてきたが、再生可能エネルギーの普及に伴い、ソーラーパネルの需要が増えたことで、問題はさらに複雑化している。サステナビリティを掲げる一方で、その実現のために別の人権問題を生み出すようでは、本末転倒ではないだろうか。
こうした状況は、日本でもすでに起きている。森林を伐採し、農地を失わせることで、地方の文化や伝統が失われていく。このような流れを止めるためには、政策を再検討し、持続可能性を真に追求する姿勢が求められる。
特に、食料自給率が低い日本では、農地の確保が重要だ。農業の衰退は、食料安全保障にも影響を与える可能性があり、単なる経済的な問題では済まされない。農業とエネルギー政策のバランスを取ることが、これからの課題となるだろう。
ソーラーパネルはクリーンエネルギーとして推奨されているが、現実には環境破壊や社会的対立を生む要因となっている。これを解決するためには、設置場所の選定や住民合意を丁寧に行う必要がある。
また、政府や企業による助成金制度が、土地を売却するインセンティブになっている点も見直すべきだ。短期的な利益に目を奪われるのではなく、長期的に地域を守る政策を考える必要がある。
この映画が示しているように、農業を続けたいという人々の声を無視してはならない。彼らは単に経済的な利益ではなく、土地や文化を守るという使命感を持っているのだ。その思いを尊重し、共存できる仕組みを作ることが求められる。
さらに、再生可能エネルギーに頼ることでエネルギー価格が上昇している現状も看過できない。天候に依存する発電は安定性に欠けるため、価格変動のリスクが高く、それが生活費の上昇につながっている。
このような経済的負担は、特に低所得層にとって深刻だ。環境政策は誰もが恩恵を受けるべきものであり、一部のエリート層だけが利益を得る構造になってはいけない。
地域社会や家族が分断されるのは、クリーンエネルギーの導入を急ぐあまり、現場の声を十分に聞いていないからだろう。丁寧な対話と合意形成がなければ、持続可能な社会の実現は難しい。
この映画は、単なる環境問題を扱った作品ではなく、人間の生活や文化、価値観がどのように変わっていくのかを問う作品だった。エネルギー政策を考える上で、多くの示唆を与えてくれるものだった。
日本でも再生可能エネルギー政策が推進されているが、その裏側で何が起きているのかを見極める必要がある。農地や自然を守りながら、環境問題に取り組むバランスを模索しなければならない。
この映画を通して、私たちはクリーンエネルギー政策の現実と向き合い、未来への選択を考える機会を得た。持続可能な社会を目指すためには、経済や政治だけでなく、文化や人々の暮らしにも目を向けることが必要だと感じた。
執筆:編集部B