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「えりアルフィヤは、自分の名前は自分で選ぶこと。これは人権だというふうに思っています。一人ひとりが自分が望むかたちで、自分の名乗り方、選べること、すごく重要だと思っているし、もちろん結婚した後、結婚した相手の姓を取りたいという考えもあるべきだし、そうしないっていう権利もあるべきだし、それぞれ自分にあったアイデンティティーを選べることが本当の人権の姿だと思っています」
人権について分かっていない、誠に愚かな発言だと思う。生まれてきたとき子供は自分の名前を選択できない。誰かが与えなければ名前は成立しない。仮にこれが人権侵害だとするならば、世界中で生きるほとんどの人々が人権侵害を受けているという状況になる。
NHKの冒頭の記事は、冷静に分析してみると危険なプロパガンダの腐臭が漂う。女性であるから批判されるという議論がまかり通れば、無能な議員が女性であった場合、否定や批判することが差別的行為であるかのように捉えられかねない。
政治家は性別ではなく能力や資質で判断されるべきだ。こうした常識すら忘れてしまった現代日本。そして、そうした風潮に追従するような自民党。保守政党の矜持(きょうじ)を忘れた自民党に存在価値などない。
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【おにょへさんの投稿】
引用元 https://www.zakzak.co.jp/article/20241214-3QNQTRXCCRNB7CJNXXLAWI3BZI/
奇妙な記事を目にしました。NHKが11月30日に公開した「女性議員へのひぼう中傷 背景に何が」というタイトルの記事です。この中で取り上げられているのは、自民党の英利アルフィヤ議員に対するSNS上での非難や中傷に関する話題です。記事を読む限り、女性議員であるがゆえに批判されているかのような構図を作り上げていますが、冷静に考えると、それは非常に危うい論調ではないかと感じました。
英利アルフィヤ氏は、地元の千葉5区で小選挙区として落選し、比例代表で復活当選を果たした、いわゆる「ゾンビ議員」です。地元有権者が彼女を選ばなかった事実は重く、政務官としての起用については多くの人が疑問を感じているのではないでしょうか。このような背景がある中で、彼女に対する批判が女性だからという理由だけで行われているかのような印象操作には、違和感を覚えます。
英利議員の政策や発言に目を向けると、特に注目されるのが彼女の選択的夫婦別姓に関する主張です。彼女は「自分の名前を自分で選ぶことは人権だ」と述べていますが、この発言には疑問を感じざるを得ません。名前というのは生まれてから親が名付けるものであり、これは人権侵害でも何でもありません。人権という概念を本当に理解しているのであれば、こんな言葉は出てこないはずです。政治家として発信する以上、言葉の重みを自覚し、より深い知識と論理をもって主張を展開すべきだと思います。
また、記事全体を通じて、「女性だから批判される」という文脈が強調されすぎている点も問題だと感じました。確かに、女性議員への不当な中傷はあってはならないことです。しかし、だからといって、全ての批判を性差別的な行為として一括りにしてしまうことは、公平性を欠くものです。政治家という立場に立つ以上、批判や反論はつきものです。その批判が政策や資質に基づくものであれば、性別に関係なく受け止めるべきではないでしょうか。
政治家が評価されるべきなのは、性別ではなくその能力や実績です。この記事の論調に従うと、無能な議員であっても女性であるというだけで批判を受けにくくなるような風潮を助長しかねません。これは、政治の健全性を損なう結果を招く恐れがあります。性別にとらわれず、全ての政治家がその能力や資質で評価されるべきだというのは、言うまでもない基本的な原則です。
さらに、英利議員のこれまでの経歴についても考えてみたいと思います。彼女は国連や日本銀行でのキャリアを持ち、自身では「真摯に仕事をしてきた」と述べています。しかし、地元有権者からの支持を得られず比例復活となった事実を踏まえると、そのキャリアが必ずしも政治家としての資質や能力と直結しているわけではないことがわかります。地元の声を無視して彼女を政務官に任命した自民党にも責任があると言わざるを得ません。
NHKの記事が危険なプロパガンダに感じられる理由の一つは、このような背景を無視して、「女性だから批判されている」という一面的な解釈を前提にしている点です。批判されているのは彼女の政策や発言、あるいは議員としての能力に起因するものであり、それを性差別として片付けてしまうのは問題の本質を見失っていると言えます。
現代日本の政治において、女性議員の登用や活躍を推進することは重要な課題です。しかし、それは性別だけで評価されることを意味するものではありません。政治家が担うべきは、国民の声を代弁し、政策を通じて社会に貢献することです。その役割を果たしていないと感じる議員に対しては、性別に関係なく批判が寄せられるのは当然のことです。
保守政党としての矜持を忘れ、こうした人事を行う自民党の姿勢にも疑問を抱かざるを得ません。性別やルーツにこだわらず、真に国民の信頼を得られる政治家を育成し登用することが、自民党が保守政党としての価値を再び示す道だと感じます。
執筆:編集部A