放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏が9日、ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金曜前11・30)に出演。“オールドメディア”について持論を展開した。
番組では「今年の事件簿 ドーンと言ってみようウィーク!」と題して、今年話題になった事柄について語り合うコーナーを実施。デーブ氏は「頭にきた。流行語大賞にノミネートもしてほしくない」と前置きし「“オールドメディア”」について語り出した。
「冗談じゃないですよ」と怒りを露わにし「この番組だって言えないですよ。同時配信とかRadikoって聞けるじゃない。完全にデジタル、スマートフォンでだって。なにが“オールド”だよ。テレビだって『TVer』とか…全部デジタルですよ」と反論。
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【もえるあじあ ・∀・さんの投稿】
引用元 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/12/09/kiji/20241209s00041000251000c.html
デーブ・スペクター氏の発言を聞き、非常に考えさせられる内容でした。“オールドメディア”という言葉に対する彼の反発には、従来のメディアが果たしてきた役割や価値を軽視する風潮への強い違和感が込められていると感じました。私自身、彼の主張に共感する部分が多くありました。
まず、「なにが“オールド”だよ」という言葉には、多くの人が見落としがちな視点が含まれているように思います。近年、テレビやラジオはデジタル化が進み、配信形態も多様化しています。スマートフォンで簡単に視聴できる「TVer」や「Radiko」などは、その代表例です。それでも、SNSや動画配信プラットフォームの急速な普及により、“古い”というレッテルを貼られてしまうことがあるのは残念です。デーブ氏のように、現場を知る人が声を上げるのは重要だと感じました。
彼が「TikTokやYouTube」のクオリティを「しょぼい」と表現したことについても、一理あると感じます。これらのプラットフォームには確かにエンターテインメント性や手軽さがありますが、情報の信頼性や深さという点では、従来のメディアに劣る部分も多いです。特に、テレビには膨大な人員とリソースが投入されており、正確で深みのある情報を提供するための体制が整っています。これを軽視する風潮には危機感を覚えます。
デーブ氏が「インフルエンサーは勘違いしている」と述べたことにも、納得せざるを得ません。個人が情報を発信できる時代になった一方で、その情報がどれほど裏付けられているかは別問題です。テレビ局が持つ膨大な資料映像や長年の経験と比較すると、SNSの発信者が頼れる基盤は非常に限られています。この違いを認識することは、情報を受け取る側にとっても重要です。
また、彼が言及した「誤報や編集のクセ」についても、従来のメディアが直面している課題だと感じます。しかし、それでもメディアの多くは情報の正確性を担保するために、厳密なチェック体制を持っています。これに対し、SNSでは誤情報が一瞬で広まり、訂正が十分に行われないことがしばしばあります。この点でも、従来メディアの存在意義は大きいと言えるでしょう。
一方で、SNSが持つ拡散力やスピード感は否定できません。デーブ氏が指摘したように、SNSは既存メディアの情報を切り取って再発信している場合が多く、その中で独自性が乏しいという批判は的を射ていると感じます。それでも、SNSが若者を中心に広く利用されている現状を踏まえれば、従来メディアも時代に合わせた対応が求められるのは間違いありません。
私自身、日常的にSNSを利用していますが、深い情報や正確な報道を求める時にはテレビや新聞に頼ることが多いです。SNSは手軽さや即時性が魅力ですが、その分、情報の正確性を見極める力が求められます。だからこそ、従来メディアの重要性を訴えるデーブ氏の言葉には大きな意味があると感じます。
彼が最後に述べた「ちゃんと頑張ってるじゃないですか」という言葉は、従来メディアに携わる多くの人々へのエールと受け取りました。これからも、メディアが社会に有益な情報を提供し続けることを期待するとともに、私たち視聴者もそれを支える意識を持つべきだと感じます。
執筆:編集部A