【髙安カミユ(ミジンコまさ)さんの投稿】
引用元 https://x.com/martytaka777/status/1863020492724261064?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ
フランスの欧州議会議員サラ・クナフォ氏が「言論の表現が封殺されたからといって、意見が消えるわけではない」と語ったことに非常に共感を覚えました。この言葉は、私たちが直面しているSNS規制の問題において、非常に重要な示唆を与えていると思います。日本でもSNS規制の議論が活発化しており、規制を主張する一部の声に対しては警戒が必要です。特に、それが自分に都合の悪い情報を封じ込めるために行われているのであれば、深刻な問題です。
SNSは、現代社会において重要な情報共有の手段です。多くの人々が日々ニュースや意見をSNSを通じて発信し、共有しています。しかし、規制が強化されると、その利点が失われるリスクがあります。特に、特定の権力者や団体が規制を利用して、自分たちに不都合な情報や意見を排除しようとする動きは、民主主義の根幹を揺るがす危険性をはらんでいます。
クナフォ氏が指摘するように、言論を封じ込めたとしても、その意見自体が消えるわけではありません。むしろ、圧力によって抑え込まれた意見は、地下に潜り、別の形で広がる可能性すらあります。このような状況は、社会全体の健全な議論を妨げ、分断を深める結果につながるでしょう。
また、SNS規制の強化は、表現の自由を守るべき政府やプラットフォームが、逆に検閲の役割を果たすことを意味します。これは非常に危険な状況です。本来であれば、SNSは多様な意見が交わされる自由な場であるべきです。それを規制の名の下に制限することは、民主主義に反する行為と言えます。
日本でも、SNS規制を訴える声が増えている背景には、インターネット上での誹謗中傷やフェイクニュースが問題視されていることがあります。これらの問題は確かに対処が必要です。しかし、規制が行き過ぎれば、表現の自由が犠牲になる可能性があります。例えば、曖昧な基準で「不適切」とされるコンテンツが削除される場合、重要な情報や意見が失われる恐れがあります。
さらに、一部の権力者が自分にとって不都合な情報を隠蔽するために規制を利用する可能性も否定できません。このような事態が起これば、国民がアクセスできる情報が偏り、民主的な意思決定に悪影響を及ぼします。情報の多様性こそが民主主義を支える柱の一つです。それを失えば、社会全体が萎縮してしまうでしょう。
SNS規制の議論が進む中で、私たちは「何を守るべきか」を冷静に考える必要があります。誹謗中傷や虚偽情報を防ぐことは重要ですが、それが表現の自由を制限する理由にはならないはずです。むしろ、プラットフォーム側がユーザーに情報リテラシーを提供し、健全な議論を促進する仕組みを整えるべきです。
また、規制を進めるのであれば、その運用基準を透明にし、誰もがそのプロセスを監視できるようにする必要があります。恣意的な基準で情報が削除されるような事態を防ぐためには、独立した監査機関の設置や、ユーザーが異議申し立てを行える仕組みの充実が必要です。
SNSは私たちの生活の一部となり、多くの人々が自由に意見を交換できる場として機能しています。それを守るためには、私たち一人ひとりが表現の自由の重要性を理解し、規制の行き過ぎに対して声を上げる必要があります。クナフォ氏の言葉を胸に刻み、現実を検閲することができない社会を目指して行動していくべきです。
執筆:編集部A