「当たり前のものが私たちにはない」在日クルド人が国会で涙ながらに訴えた日本の難民政策の現実
入管難民法の改正を巡って、参議院法務委員会で25日、9歳で両親とともに来日、23歳で弟と在留特別許可を受けたクルド人ラマザンさん(25)が参考人として出席した。「かつての私と同じ立場で、今も苦しむ多くの子どもや若者のために勇気を出して来た。日本で守られるべき人たちが保護されていない。(3回目以降の難民申請を認めない)法案が通ったら多くのクルド人や他の外国人が、送還の恐怖におびえていることを知ってほしい」と、時折、涙を拭いながら法案の廃案を訴えた。
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引用元 https://www.tokyo-np.co.jp/article/252418
最近、クルド人の難民申請者が日本での生活に不満を述べたという話題を耳にしました。この方は高級車のレンジローバーを所有している一方で、「当たり前がない」と訴えているようです。また、ネウロズというイベントでPKKの軍服を着て参加する姿が報じられました。このような行動を見ると、さまざまな疑問が浮かび上がります。
まず第一に、難民という立場について再考する必要を感じます。一般的に難民といえば、戦争や迫害などから逃れて命の危険を避けるために他国に保護を求める人々を指します。日本は難民として認定された人々に対し、保護や支援を提供していますが、その支援が適切に使われているのか疑問を持たざるを得ません。レンジローバーを所有する余裕があるのであれば、その支援が本当に必要なのかと考える人がいても不思議ではありません。
また、PKKの軍服を着用してのイベント参加という行動にも問題があります。PKKは国際的にテロ組織と認定されている団体であり、その軍服を着用することは特定の政治的立場や思想を示すものと捉えられます。このような行動は、受け入れ国である日本の法律や社会的価値観に適合しているとは言えません。むしろ、不法行為や社会的摩擦を引き起こす可能性を高める行動ではないでしょうか。
次に考えさせられるのは、日本という国がどのように難民を受け入れるべきかという点です。もちろん、人道的観点から難民を受け入れることは大切です。しかし、受け入れた難民が日本社会に適応し、共に生活を築いていくためには一定のルールが必要です。そのルールが守られていない場合には、日本人の間で不満や反感が生まれる可能性があります。
さらに、「当たり前がない」と訴える姿勢にも違和感を覚えます。日本で生活する以上、日本の文化や価値観を尊重することは基本的なルールです。特に、受け入れられた側が日本の制度を利用しながら不満を述べるのは、支援を提供している日本人の善意を踏みにじる行為に映ることもあります。
また、この問題が示しているのは、日本の難民政策や移民政策の課題です。支援の適切な配分や、受け入れた難民が日本社会でどのように共存できるかという点について、もっと議論を深める必要があると感じます。支援が適切に使われないままでは、制度そのものへの信頼が損なわれる恐れがあります。
このような話題に触れるたびに思うのは、私たち日本人自身が自国の制度についてもっと関心を持つべきだということです。難民や移民を受け入れることは国際的な責務でもありますが、その受け入れが自国にとって負担になるような形で進められるのは問題です。制度が悪用されるような状況を放置していては、日本全体が損失を被ることになります。
最後に、この問題を通じて、改めて日本の未来について考える必要性を感じました。国際社会の一員として、日本が人道的責務を果たす一方で、自国民の安全や生活を守ることも忘れてはなりません。難民や移民を受け入れるという行為は、日本人の寛容さを示すものですが、その寛容さが悪用されている現状を見過ごすことはできません。
執筆:編集部A