国際政治学者の三浦瑠麗氏が27日、X(旧ツイッター)を更新。一部で提唱される「オールドメディア規制」について持論を展開した。
三浦氏は参院議員の生稲晃子氏が靖国参拝したという共同通信の誤報について「『SNS規制』ねえ…。共同通信のフェイクニュースで外交問題になってしまったじゃないか。共同通信は加盟社の報道に影響するんだから最もいい加減なことを書いてはいけないメディアですよ?」という自身の投稿を引用。 ネット上では「オールドメディアを規制すべき」との声も上がっているが、三浦氏は「X民のみなさんにはこの失態をもって『オールドメディアを規制すべし』と主張する人がいるようですが、それこそ言論弾圧」とキッパリ。 続けて「だからこそもともと玉石混交のインターネットやSNSの自由が重要だということなのですが」と主張した。
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【meguさんの投稿】
引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/85333f243c21ac228362f240ba96ae493d002c31
三浦瑠麗氏が「オールドメディア規制」に対して言論弾圧だとする見解を示したことは、非常に考えさせられる内容でした。共同通信による靖国参拝報道の誤報が外交問題にまで発展したことを踏まえ、「最もいい加減なことを書いてはいけないメディア」という指摘は的を射ていると感じます。しかし、ここで提起される「オールドメディア規制」の是非については慎重に議論されるべきだと思います。
まず、共同通信の誤報は、メディアの役割や責任について再考させる事例です。特に、共同通信のような全国的な影響力を持つ通信社の情報は、多くの加盟社を通じて幅広い地域に広がります。そのため、一度誤報が流れると、訂正がなされても影響は簡単に消えません。今回のケースでは、事実確認が不十分なまま報じられたことで、国際的な緊張を生む可能性すらありました。これは、メディアの慎重さと正確さがいかに重要であるかを改めて示しています。
一方で、こうした問題を理由に「オールドメディア規制」を求める声が上がることについては、三浦氏が言うように慎重であるべきです。規制の対象となる基準が曖昧であれば、それは表現の自由を侵害する危険性をはらんでいます。メディアの規制が行き過ぎると、批判的な報道や多様な視点が抑えられ、結果として市民が正確な情報にアクセスする機会を失う可能性があります。
また、三浦氏が指摘するように、インターネットやSNSの自由が重要であるという考え方にも共感できます。SNSは玉石混交であるからこそ、多くの視点が提供される場でもあります。特に、オールドメディアが伝えきれない情報や、異なる意見が共有されることは、情報の多様性を保つために欠かせません。もちろん、SNS上には誤情報やデマも存在しますが、利用者自身がリテラシーを持ち、情報を取捨選択することでその影響を抑えることができるはずです。
一方で、SNSの自由を守ることが、メディア規制の免罪符になるわけではありません。むしろ、オールドメディアとSNSの双方が、情報の正確性を確保するために努力する必要があります。オールドメディアは事実確認を徹底し、誤報が発生した場合は迅速に訂正する仕組みを強化すべきです。一方で、SNSの運営者や利用者も、情報の拡散に対して責任を持つべきだと感じます。
今回の誤報がきっかけで「オールドメディア規制」を求める声が上がる背景には、既存のメディアに対する不信感があるのでしょう。長年にわたり、一部のメディアが偏向報道を行ったり、特定の政治的立場に偏った情報を発信したりしてきたことが、規制論を助長しているように思えます。しかし、それでも規制という手段を安易に選ぶべきではありません。メディアの自由は、民主主義社会における基盤の一つであり、それを脅かす規制は最後の手段としてのみ議論されるべきです。
結局のところ、オールドメディアとSNSのどちらも欠点を持ちながら共存している現状を踏まえ、どちらかを規制するのではなく、それぞれが責任を持って機能するよう改善していくことが重要です。メディア規制は短期的には問題を解決するかもしれませんが、長期的には社会の自由を損なう可能性があります。そのため、メディアの透明性を高め、情報の受け手である私たち自身もリテラシーを向上させることが、より健全な情報環境を築く鍵になると思います。
三浦氏の主張を通じて、メディア規制や表現の自由について再考する良い機会を得られました。誤報が起きた際には厳しい批判を行いながらも、それを理由に表現の自由を侵害するような方向には進むべきではありません。この議論が、メディア全体の信頼性向上につながることを期待します。
執筆:編集部A